2020年 07月 25日
太極拳の眼法 |
10年以上ゆっくり動く太極拳に向き合い、最近やっと眼法もそろそろ要求通りに出来るように、などと云われます。
連盟の実技テキストを読み返してみると6.眼法には「眼為心苗」目は心の窓、「手眼相随」意識・目・体の順に動く、「一転眼則周身全動」目が少し動けば全身が動く、と記載がありいずれも的を得た言葉だと思います。
しかしその内容説明には、身法・歩法・手法を強調させるのである、との記述がありますが、させるのではなく上達するにつれ自然にそのようになるという指針の言葉だと思います。
よく聞くのは、手に目線を合わせなさい、協調させなさい、目線を上下させない、黒目を動かさない、などの決まり事。
動きは決まり事で縛っても動きの質は上がらず上達は望めないと思います。
優れた指導者はその指針にそぐわない動きを見逃さず指摘する・・先日、指摘されたのは正に眼法、顎を引くあまり頭が前傾して先を見ると黒目が上向き、ご指摘の通り見苦しい表情に・・前傾した顔を上げれば形は修正できても悪い癖はまた必ず出る・・どんな時も自然な平視ができるようになるためには身体のどこをどう使えば良いのか試行錯誤、例えば八段錦5番の揺頭配尾、要領は頭を揺らし廻し顎を突き出し真上を見上げ、顎だけを引いて顔を正面に向ける・・するとその時、後頭骨が尾てい骨の真上に来て、首の頚椎は自然に前弯で撓み、どう動いても頭がブレず目線は平視となり崩れない、試しに海底針、云われる通り目線がそこで自然に止まる、言い換えれば後頭骨の背中への乗せ方、虚領頂頸で気づいた「て」の感覚は後頭骨と仙骨を繋ぐ感覚、これが正解かと・・このテーマ「太極拳の眼法とは」で検索すると北京で太極拳「そして大切なのが虚領頂頸、これが出来ていないと眼に力が入らない、眼による意識が生まれてこない、ただ手を見ているだけでは眼法は使えません」との記述・・やっぱり太極拳の動きは全てが自然に繋がっているのだと、眼法の練習で目線を手に合わせるというのは形だけの練習なのかもしれません。
太極拳も八段錦もヨガも気功もストレッチも体の中の深層部が意識できなければ気持ち良さも本当の楽しみも半減のような気がします。
あの傳清泉老子が初来日され雑誌タイチて仰った言葉を思い出します・・・「日本の生徒さんの良いところはとても熱心で勤勉なことです、日本の生徒さんは真似るのが中心になっているが、太極拳は手を使うものであって手を動かすものではない」と・・・太極拳の眼法も只単に目線を手に合わせてあちらこちらと動かすもでは無いように思えます。
7/31追記:「目が少し動けば全身が動く」これが本来の自然な動きだと気づきました。
テニスも太極拳も同じこと、飛んでくるボールを見続けると自然に身体が動いて正しいテイクバックができてしまう、相手の動きを見続けていれば自然に身体が反応して攻防が生まれます。
そんな意味で太極拳の動きは眼から始まるのかも知れません・・超達人は眼を閉じていても気で相手を制することができるのか?今のところそれは無理だと思います。
2020/8/3 コロナ感染が止まらず、連盟TSは再活動中止らしい、自分には縁遠い話ですが・・・
眼法の本質は後頭骨の使い方のような気がします・・後頭骨の底部には大切な随膜を通す穴が開いているようです・・そこに頚椎の一番がはまっているようです・・後頭骨は蝶形骨と連動しています・・頚椎の一番を上手に後頭骨の穴にはめ込むと(八段錦の揺頭配尾の要領で)頭が軽くなり瞼が上がり目力が増し相手の動きがよく見えるように(そういえば随膜は脳を包み頭から仙骨尾骨まで繋がっています)・・目力は蝶形骨(羽を拡げたアゲハ蝶のような形)の動きから出てくるような感覚です・・眼法は目線の活動中止や再開(教えられて覚える)ではなく、自分の体の中の全てが繋がって生まれるもの・・https://hidetaichi.exblog.jp/27592285/すると私も羽生結弦選手と同じように耳まで(耳介筋)動きだします。
2020/9/9
今日気づいた身体操作は命門を開くことで首が据わり虚領頂頸が崩れず自然に眼法も言われるような動きになります。
そこから大切なことは太極拳は武術の動きなので自分が次に相手に対して何をしようとしているのか相手は何をしてくるのかが明確に解かっていなければ歩法も手法も身法も眼法さえも全てが不自然でとってつけた様なものにしかならないと思います。
2020/10/12
最近やり始めた気功八段錦、いろいろ調べていて「大椎」なるものを知った、首と背中を繋ぐ大切なツボらしい、この頚骨の7番と胸骨の1番を繋ぐ関節を拡げ伸ばすとまるで熱田神宮で見た神鶏のような凛々しい立ち姿になります。
気功の世界ではこの「大椎」と「命門」が繋がり全身に気力と調和が生まれるらしく、すると自然に眼も落ち着き輝き出すような感覚です。
分かった事は、そろそろ眼法もと言われ目そのものをいくら意識しても無駄な事だと。
2020/11/1
読み返して思ったこと、以前ネットであの有名な「加藤修三の太極拳ばなし」のコラムにこんな記載があった・・サイトを訪れ加藤先生の仰ることが腑に落ちる人は100人中1人で1%、更に理解できた人の中で動作として再現できる人はそのまた1%、すなわち10.000人にひとり・・その理由は内実の有り無し、太極拳の手法も歩法もましてや身法も更には眼法もすべては腹圧(気とは呼吸)から繋がり生まれるものだと思います。
李自力先生の言葉「内実もなく高度な演技を真似ても無意味です」同じこと、そろそろ眼法も覚えましょうと言われ、目線を取り繕っても無理、そもそも眼法も太極拳も頭で考え動かすものでも動くものでもないと思います。
2021/7/21
眼法では黒目はど真ん中で動かさないのが要求されるらしい・・集団練習ではつい前を見ながら周りをチラチラ、鏡を見ると更に黒目が動きます。
重い石を両手で必死に抱えて動くとき誰かに声をかけれても顔は向かず黒目も絶対に外れないはず・・自然にそれが内実から繋がる眼法そのものだと思う今日この頃です。
2021/8/27
身法(内実)無くして歩法も手法も眼法も無し・・・
by rakurakutaichi
| 2020-07-25 00:03
| 私の太極拳上達法
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