2020年 05月 06日
太極拳術十要とは |
太極拳術十要とは太極拳を伝えるため楊式太極拳創始者楊露禅の三代目で孫の楊澄甫が説いた十三要点から敢えて10項目を抜粋したのだと思います。
①虚領頂頸 ②含胸抜背 ③鬆腰胯 ④分虚実 ⑤沈肩墜肘 ⑥用意不用力 ⑦上下相随 ⑧内外相合 ⑨相連不断 ⑩動中求静、その他は ⑪意気相連 ⑫動静合一 ⑬式式均匀・・・これを一つ一つ頭で考えて動いてみても繋がった動きにならず身にはつかないと思います・・・
以下、楊澄甫先生の指導、十二則を受けた人の記述
一は「鬆」である。澄甫先生は一日に十回以上も「鬆だ」「鬆だ」「鬆浄だ」と言われていた。
「鬆」とは「全身の筋肉、経絡をリラックスして開く」ことであり、少しも緊張があってはならないのである。
二は「沈」である。もし、よくリラックス(鬆)ができたならば「沈」となる。
三は「虚実を分ける(分虚実)」ことである。拳論には「全ては虚と実があるのみである」とある。
右手左足が実であれば、左手右足が虚になる。反対に右手左足が虚なら、左手右足は実であることは言うまでもない。
総じて全身の負担は、ただ一方の足だけに掛けることが許されるのみとなる。両足に等しく体重を乗せる「双重」は良くない。
尾骨と脊椎が「中」を得ていなければならない。中定を失わないことが特に重要なのである。
四は「虚霊頂勁」である。例えば辮髪が背骨に沿って真っ直ぐに垂れ下がっている状態、この様な感じである時に転身をするのである。
五は「転身をしても心(軸)は動揺しない(磨転心不転)」である。「摩転」とは腰を回すことである。
「心不転」とは気が丹田に沈んで中定となることである。
六は「[才覧]雀尾は鋸を挽くように(拉鋸式)」行われるべきであり、棚、リュイ、ジー按はそのまま推掌となり相手が動けば自分はその先に動く。
七は「吊るされた肉の塊でもないのに、なぜ動こうとしないのか」これは意識を用いない上体を痛烈に批判している。
八は「推されても転ばない」沈なさば相手につけこまれ、両足に体重を乗せれば動けなくなる。全身は鬆浄で頸が総て片足に乗っていなければならい。
九は「頸と力は同じものではない」頸は筋肉から発し、力は骨から生れる。柔と活、弾性がある柔(弓)(筋肉)と弾性がない剛(矢)(骨)
澄甫先生から発勁のコツを教えて頂いた。それは「『機』と『勢』が共に得られなければならない」ということ。
相手の動きを知るのが機、相手から作用を受けるのが勢、楊健侯大先生は「機」と「勢」の二語を特に好まれていた。
十は「套路を練る時には正しく、均一な速度でなければならない」また套路は間断することなく、貫き通す(貫串)ことである。
十一は「真実を体得すべき」である。朋は跳ね飛ばすのではない履は引き倒すのではない按と斉は共に勁を蓄え中定を失ってはならない、これが真実である。
十二は「僅かな力で大きな力を跳ね飛ばす」勁は大きすぎても良くない。相手に察知され、変化されて逃げられてしまう。
また大きな力で引っぱりすぎれば逆に利用されて攻め込まれる。
・・・なるほど難しいことが一杯書いてありますが身体の動かし方や感覚は文章や言葉で伝えるのが難しい、云われるように形を作ってみても感覚は生まれない、云われれば言われるほど動きもぎこちなくなる、コロナ蔓延で自粛自主練の日々、意識すべきはやっぱり全ては虚と実がある武術としての攻防の動きを止めることなく「套路は間断することなく、貫き通す」ゆっくりと同じ速度であれやこれや自分の身体で試行錯誤して試してみるしかない、余談ですが辮髪とは当時の満州民族の男性が頭を丸めて後ろの髪の毛を三つ編みにして垂らしたヘアースタイル、そういえば楊露禅を召し抱えた清王朝は漢民族ではなく満州民族で一説によると漢人である露禅は満州人の王朝では本当の太極拳を隠していたとか・・・リラックス(鬆)ができたならば「沈」となり「心不転」とは気が丹田に沈んで中定となる・・感覚的には「沈」が無ければ「鬆」も生まれず、鶏が先か卵が先か?試行錯誤の末にこれが実現すれば太極拳術十要は考えなくても自然に形として現れるのだと自覚できると思います。
日本の古武術で云えば、立甲と膝抜きで凡てが叶うようにも思います。
2020/11/7
古武術で言う「立甲と膝抜き」この状態で立つのが正しい姿勢、これが出来て初めて凡てが繋がり叶うのだと思います。
立甲は肩関節、膝抜きは股関節、太極拳もスポーツも同じこと、肩関節と股関節の位置関係、納め方、据え方、使い方、凡てはそれが出来てからだと気づきました。
出来てしまえば簡単なこと、こんなに軽やかに立って動けるとはオドロ気モモノ気サンショノ気、周りばかりに気を使うのではなく自分の体の中の気を大切にしたいものです。
2021/10/31
理解が難しいのは「尾呂正中」だと思う・・「尾骨と脊椎が「中」を得ていなければならない」「中定を失わないこと」などと云われても理解は不能・・具体的には尾骶骨と仙骨の位置関係、つまり正中仙骨陵と尾骨角を垂直に合わせること、そのためには息をフン、と吐くこと、それが無ければ絶対に「尾呂正中」は実現しない、それが「沈」することの内容、股関節の大転子が背側に開き、腰椎が仙骨に立ちタアヤオとなり、身体に「鬆」が生まれ自然に体鬆となり「放鬆」が生まれ体軸が崩れず双重の愚から解放され、どう動いても中定が崩れない・・それが実際の感覚です。
コロナも自然に自壊して・・結論は呼吸、内実のない形からは何も生まれないと言うことだと思われます。
始めた頃に言われた「踵に乗り椅子に座るように」丹田呼吸と内実でやっとその内容が解ってきた今日この頃です。
2021/11/12
今日また歳を重ね気づいたこと・・踵に乗っては大間違い、何時まで経っても足裏の捻じれも双重の愚からも解放されないと思います。
2022/8/15
太極拳術十要とは・・自然に動いた結果がそうなるようにとの教えだと思います。
自然にとは・・止まることのない身体の中からの動きであり、よく見かける套路の途中で逐一止めてのああだのこうだのとの指導は不自然そのものだと思います。
太極拳術十要の最大ポイントは腰椎の捻り、右へ5度で重心は右足に、左へ5度で左足が軸足に、腰椎の捻りは股関節の引き込みで動き出す、全ての動き出しの最初にあるか否かだと思います。
十要での腰とは骨盤ではなく腰椎であり肩腰を残して腰椎部から動きだすには腹圧と呼吸での股関節の折畳が必要で「内実」そものだと思います。
「内実」も無く動きを止めて形をいくら直しても太極拳にはならないのだと思います。
2023/2/4
驚き?昨日このブログ記述の訪問者40人内容が伝わった方が何人か実際に出来た人が何人か…加藤修三先生の太極拳ばなしHP事務局の1%の1%コメントを思い出します。
2023/8/17
身法(内実)こそが太極拳の最重要根幹であり体幹部(腰椎)の動きも無く手法(手形)や歩法(歩形)を語って指導するのが形だけの太極拳が蔓延する元だと思います。
拳友会館長さん曰くゾンビのような集団套路、李自力先生曰く内実も無く真似ても無意味です。
by rakurakutaichi
| 2020-05-06 15:04
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